気になる

ガラホにしたい

ガラホにしたい

今週の私の頭ん中。秋になったらいま使ってるiPhoneが2年なので、まだ夏も本番じゃないのに前のめり気味に瞑想。
昔から携帯変えるのが大好きで、ガラケー時代は色んな操作性を知りたくてわざわざ違うメーカーのに乗り換えたりとかしてたのです。
4年ちょい前、友達のが羨ましくなってiPhone4にして以来、4S,5Sと毎iPhoneにしてたのだけど、最近なんだかあのシンプルなパカパカ携帯が恋しくなって。
それで調査(主にネットサーフィン)してたら、「脱スマホしたら生活がシンプルになった!」なんてブログ記事をいくつか見つけて、そこへ最近はアプリ版のLINEもできるAndroid搭載携帯 通称「ガラホ」が出ているとのことでとっても気になっています。

気付けばおはようからおやすみまで、暇さえあればひたすらスマホいじっているのに有益な情報を得ていることなんてその中でわずか数%なんじゃないか?という日々。でもなんか構いたくなっちゃう不思議。だからいっそ自ら不便にしてやろう!というわけです。

ん?でもわたし、ガラケー時代から家では似たようなもんだったような気もするな。
メール以外にもmixi見てたり、すきなサイト巡りしたり。iPhoneにしてからも基本アプリよりネットに費やしているからそこは実は変わらないのかも。
いまは、プラスで、便利なアプリとYouTubeかな?

つまり、あの2段階制のパケットW定額が始まって以来っていうのが正しいかもしれないのだけど、それにしてもやっぱり自分の慣れと世間がスマホ向けにビジネスを展開してったおかげでスマホは素晴らしい!

ということになり、気づけばわたしの大事な隙間時間というものがことごとくなくなっていったのです。ね。
だって今、テレビのCMすらじっとして待てないしちょっと待ち合わせの時とか電車の中とか、待つって元々苦手だから余計に。

W定額のまえはメール以外基本パケット通信料を使わないようにしてた。ネットはパソコンのみ。
そんな生活がもう10年以上まえのことだと思うと、わたしはもう10年以上隙間時間を味わっていないということになっちゃうの?!それはびっくり。

いま使ってるiPhoneのローンが終わったら、ガラホ+解約後のiPhoneWi-Fiで運用ってしようかな。
とかいって、家にWi-Fi飛んでるから変わらないかもしれないけど笑

マップと乗り換え案内がないと外出る時怖いなぁ〜。家で調べればいいんだけど。そもそも昔は電話も持ち運べなかったんだからね。スマホやめたら料金がぐんと下がるのもとっても魅力的だし。

昔はやれカメラがついたとか、カラー写真がとれる、ムービーとれる、テレビが見れる、なんて新機能にウキウキしながら新しい携帯を選んだものですが、携帯を初めて持ってからわたしは13年半。ついに今までよりも機能の少ないものに興味を示す時がくるとは。


胸を打たれる

がらんと空いた、田舎の電車に乗っていますと学ランを着た高校生がテキストを読みふけっていて、そのテキストを持つ手の反対側には手作りのおにぎりが。

これだけで意味もなく涙しそうになった日曜の朝。

思えば何であんなに頑なに勉強しない道を選びまくっていたんでしょうね、私。
ほんとに、しようと思えば今だってできることなんですけども。
"その時"、つまり学生服を着る年頃にきちんと勉強に向き合い、お休みの日もおにぎりを持って勉強しにいくということが果てし無く崇高なことに見える今日。


ピュアだった

言われたことにそのまま傷つき、その癖自分は限りなく遠回しに文句を言った。
そして限界がくると突然過去まで掘り繰り返して、言わないつもりだったことも全部ぶつけた。なぜだかそうなってしまうと、嫌な言葉に渾身の力を込めて相手にきっちり命中するように気をつけた。同じように傷ついて欲しかったのかもしれない。

しばらく大泣きしていない。

近頃は、大泣きするようなことがない。そんな平和ぼけに浸っていると、時々思い出す。
転んだだけで泣いたこと、失敗して怒られるのを恐れて泣いたこと(お道具箱忘れた、とか)お気に入りのものを粗末に扱われて泣いたこと、自分の気持ちを分かってもらえなくて泣いたこと、好きなものや人を悪く言われて泣いたこと、感動なのかなんなのかむやみやたらに泣いたこと、何で泣いてるのかもはや分からないけど泣いたこと。

泣くと心がリフレッシュできるから、たまにウォーキングするような感覚で泣きたい。
最近はどちらかというとイライラばっかり。カルシウムは完全に足りていません。牛乳も嫌い。

平和というのもそうだけど、多分生きていけばいくほど慣れていることが増えていくからというのもあるんだろう。
自転車にしばらく乗っていなくても、いつでもまた乗れるのと同んなじで。
ちょっとやそっと失敗しても「この痛みは知ってる」って思って、だから涙も出ないんだろう。



PS.フランス語の勉強始めました
(  °  ω  °  )


夏の課題図書

宇宙みたいに真っ暗で呼吸もできないようなところへ、行きたいと思ったことがない。
ドラえもんみたいにテキオートーで、宇宙空間でも地上で過ごすみたいにいられるなら、しかもスペースシャトルじゃなくて銀河鉄道みたいにゆっくりと進む乗り物で旅行できるなら(圧縮空間で広々客室、展望車つき、用事がある時はどこでもドアで一時帰宅)、しかもしかも、行った先に宇宙の遊園地(ドリーマーズランド)があるのなら
それならちょっと行ってもいいかもしれない、そんな宇宙。


けど、宇宙兄弟という漫画はとてつもなく興奮した!!!

宇宙飛行士試験を合格するのにいくつもの激しい試験、受かるのは数名。
受かったら2年間"訓練生"として猛勉強。
せっかく受かったのに脱落していく人もいる。
知識、技術、体力、閃き、リーダーシップ、決断力、行動力、冷静さ、仲間を思う気待ち、自分をアピールするパワー。
それに加えて個々の特殊能力。(医者だったり技術屋だったり学者だったり)

それ全部揃うとかあり得るの?!

無事正式な宇宙飛行士になってもまた訓練。必ずしも宇宙行きの仕事を任命されるわけじゃない。同期はみんな宇宙に行ったのに俺は、、、とかなる奴がいたり、ISSじゃなくてほんとは月に行きたかったとかいうやつがいたり。
あまりにも遠い道のり。

そこに出てくるキャラたちのできること
例えば、英会話、ロシア語会話、英語の専門書を読む、飛行機を運転する、物を設計して実際に組み立てる、宇宙の様々な乗り物や機械を操作する
その中のたった一つでもできれば十分ものすごいことなのに、彼らにとってそれは宇宙へ行くための必要最低限のツールの一つでしかない。
でも「英語を喋れるようになる」っていう目標を立てるより、「宇宙に行くために英語が必要」って方がやる気出そう(  °  ω  °  )!!


とても刺激を受けた。


一夏の成長

夏休みは成長する的なことを
成長する、というか成長しないといかん、みたいな?
そんな風潮が、あるじゃないですか。

少年がラジオ体操して虫とかザリガニとって星見て宿題やって秘密基地作って友情深めてプール行って泳ぎの新技習得して祭り行って花火見ておじいちゃんち遊びに行ってそういえば自由研究何やったー?
みたいな、それはそれはてんこ盛りのイベント量をこなしてそれぞれに日焼けした肌で学校に行くと気になるあの子がイメチェンしてたり先生が結婚しましたとかなんとか。

心の成長は数値化できないけどとりあえず身長伸びてるんですよきっと。小学生を40日ぶりに見たらそれはもう成長してますってきっと。

でもそっからある程度大きくなると後はもう「自分次第」で片付けられるようになるんですね。夏を制するものは受験を制す、なんて。イキナリ言われるんでもう、ぐうたらな私からするともう少し心の準備期間も用意した上で、だから夏の半年前くらいに教えてくれればもうちょっと、ねぇ、こちらとしても対応できたかもしれないですけど。あくまで仮定の話なんですけれども。

そんなこんなで昔からとにかく重要視される夏。

真っ只中にいた頃より今の方が逆に時々自分に聞いてみたくなるもんです。
おい、成長してんのか?
って。

この夏はなんとなんと、
宇宙兄弟進撃の巨人の漫画が今出てるとこまで追いついてやったぜ!! 


(  °  ω  °  )



青春を目撃

ある花火大会の帰り道、川沿いの土手から駅まで続く真っ直ぐで長い道のりをひたすら歩き続ける道すがら、ある青春が目の前に巻き起こった。
目の前には小学6年生?くらいの男の子が2人。なにやら後方の人と大声で話しているようなので振り返ると道の脇に固まる浴衣姿の数人の女子。
「いや、なんも話す事ねーって」
男子2人は恐らくその女子たちのところに戻るかどうか、ゆるく前に進みながらも話し合っている。
大勢の人が波のように後ろから押し寄せる中、意思を持って後ろに歩き出さなければ歩くのを止めることはできない。
がんばれよ!と(私が)(心の中で)応援するも、彼らは進む。
「いや、だから話すことねぇって」

ポトン、と線香花火の最後の雫が落ちてしまったような思いがした。彼らは振り向くのをやめて前に歩きだしてしまった。
夏休みの夜の青春。さらば。

そう思ってまた少し歩くと、しきりに「話すことがない」と主張していた右側の少年が突然思い切り振り返って大声を出した。
「待って橋本がなんか言ってる!!」
橋本がなんか言ってる!!と言って後ろに向かって走り出した。
さっきまで燻って落ちていった線香花火とは比べ物にならない打ち上げ花火のような爆発力だった。

「橋本は多分何も言ってない」
一部始終を見守る私。
でもいいんだ、よかった。
あの沈黙の数歩の中で彼の中の何かが決意をしたのだから。
よい夏休みを。



ムッタは準備中

いま、スマホのYahooトップで無料で読める漫画の「宇宙兄弟」を毎日1話ずつ読んでます(^o^)
2年前実写映画見てかなり良かったから原作も読んでみよーということで!

言葉選びとか好きな漫画です。
お話は子どもの頃から宇宙に憧れて、月や火星に行く!と宣言して勉強していた兄弟が、大人になって弟は本当に宇宙飛行士になって今度日本人で初めて月にいくことになった。
が、主人公は兄の方。兄は自動車の設計の仕事をしていて、弟のことを悪く言った上司を頭突きして会社をクビになったところから物語がスタート。弟が宇宙飛行士になってからは "南波日々人(ヒビト)のお兄ちゃん"とばかり呼ばれるようになり、劣等感を感じていたところ、今度はニートになってしまった南波六太(ムッタ)。
実家に帰って次の職探しをしていると、その事がアメリカに住むヒビトの耳に入り、ヒビトと母の手によりムッタはJAXAの試験を受けることになる。


*


ムッタは子どもの頃からヒビトに対していつもお兄ちゃんでありたい!というのがあって勉強を教えたりいじめっ子に頭突きしたりしてきたが、段々ヒビトが頭角を現して勉強の成績がよくなったり、本当に宇宙飛行士になってしまう過程でムッタは少しずつヒビトに張り合うことをやめてしまう。
漫画は主人公であるムッタの辛さが全面に出るが、実はその裏でヒビトも自分に対してムッタが張り合わなくなっていったことにつまらなさや寂しさを感じていた。

そうなのか!と思った。
大人になるにつれてめちゃすごい人、めちゃ強い人に張り合うパワーとかやる気?が削がれていく気持ちってすごい分かると思ったけど、そうやって戦線離脱していくことをヒビトがつまらないって思ってたってことは新鮮な驚きだった。
多分わたしも「あいつはいーよな、すげーよな」「でも自分は」と、自分のことばかり考えてしまうだろうなと思う。

張り合うことを「楽しい」と思う気持ちが大事で、そうやって考えるとパワーとかやる気なんて勝手に後でついてまわってくるもんなんだろうな、と思った。
少年が夢を目指す物語じゃなくて、一度夢を諦めた少年が30代(?)からもう一度夢を見るってところが良い。じんわり効く感じがする。

1人アメリカに旅立ち生活するヒビトは、周りの人にいつも「もう一人月にいくべき人がいる。」「ムッタは今準備中」と説明していた。
その頃はまだムッタはまだ自分が宇宙飛行士になる試験を受けるなんて考えてもせずに自動車の設計をしている時だった。
ムッタはその事を後に試験を受けている最中、ヒビトに呼ばれて(試験から次の試験まで時間が空く)NASAに行った時に近所の人から聞いて知ることになる。

ヒビトが周りにそんなことを吹聴していたことにムッタは恥ずかしがっていたけど、そうやってヒビトよりも長い回り道をしていた期間も全てムッタにとっての「準備期間」であるとヒビトが言い切っていたことにむやみに感動(;_;)

不器用だったり諦めちゃったり、ヒビトみたいにストレートに頑張りきれる人って夢が大きければ大きいほど、割合としては多くはないように思う。
でも、ただただ夢を諦めた人で終わるのではなく、復活して結局夢を叶えたならばそれは「ちょっと回り道した時期もあったね」ってだけのことになる。
そんな時代もあったねと。

準備期間が長い人もいる。ただ、張り合う楽しさをいつも味わえる人生は超楽しい。

燃え上がる漫画です。良い。